« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月

カッパ黄桜「カッパカントリー」でカッパと酔い戯れる~京都市伏見区

以前に月桂冠大倉記念館を紹介したが今回は黄桜カッパカントリーだ。酒造りに関する展示館やレストラン、アノ懐かしいCMや清水崑・小島功両氏のカッパのイラストなど集められた黄桜記念館などから成ります。※写真をクリックすると拡大表示します

Kappa_country
黄桜カッパカントリーのエントランス 土日11時のオープン直後
マスコットキャラクターの夫婦カッパ ;
Kizakura_hana
おなじみの夫婦カッパが歓迎してくれる
これが黄桜。遠くから見ると黄緑色の花に見える
Fushumizu
Kizakura
伏見の名前の由来「伏水:ふしみず」
黄桜の商標
Kappa_musiam
Kappa_miira
黄桜記念館(Kappa Gallery)
日本各地に伝わるカッパ伝説

自分はグルメ旅しない人なんですが、ここは食べるものが旨いと思いました。ところで、「黄桜→カッパ」「黄桜ぁ~→どん!」なんてCM流し続けて幾年月、しっかりアタマにすり込まれているなぁ、とあらためてじました。

Photo:CANON Powershot G9, RICOH Caplio GX100 ※写真をクリックすると拡大表示します

| | コメント (0) | トラックバック (1)

ねねさんは何を思ってここを歩いたのでしょうか~高台寺寒月台・臥龍廊/京都市東山区

清水寺の北、円山公園のすぐ南にあるのが豊臣秀吉の正妻北の政所(きたのまんどころ:ねね)が創建した高台寺(こうだいじ)です。徳川家康の莫大な援助もあり偉容を誇った当時からはずいぶんその規模も小さくなったようです。でも、ねねさんが歩いた(んだろうなと思う)通り道・・・コレがなかなか良いのですよ。 ※写真をクリックすると拡大表示します

Img_6701
書院から開山堂への道 奥の開山堂の手前が観月台(偃月池)

方丈から書院、観月台、開山堂、臥龍廊を経て少し高見の霊屋、傘亭、時雨亭。この一本道が何とも味があります。一般の観光客は上の写真部と臥龍廊部は通れないのが残念。

Img_6702
Rimg3061
開山堂と観月台
開山堂の格子窓から堂の中を覗く

方丈の枯山水を見て、観月台にたたずみ庭園と月を愛でる。臥龍廊をのぼり傘亭でお昼寝(な訳ないか)。ゴールデンウィーク1週間ぐらいそんな生活がしてみたいものです。

Rimg3067
開山堂を奥に進むと臥龍廊(臥龍池)を経て霊屋へ登る 龍の背中に見える
Img_6714 Rimg3077
時雨亭のひさし
傘亭の屋根(傘を開いた様)

傘亭、時雨亭と雨にちなむ名前が付いています。ねねさんはここに座って、雨の下しる静かな音を聞きながら、過ぎた戦乱の世を思ったのでしょうか、それとも平和な行く末を思ったのでしょうか。

Photo:CANON Powershot G9, RICOH Caplio GX100 ※写真をクリックすると拡大表示します

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

祇園さんで結婚式、ほんによろしおすなぁ~祇園八坂神社

四条通を東へと進めば突き当たりがここ祇園さんと呼ばれる「八坂神社」です。 ※写真をクリックすると拡大表示します

Img_6647

ここから円山公園へ抜け、ねねさん(秀吉の奥さん)の高台寺、そして二年坂、三年坂(産寧坂)をとおり清水寺へ。文句なしの京都観光標準コースの一つです。

Img_6672

4月のとある日曜日9時半頃、八坂神社の結婚式に遭遇。こんなメジャーな場所で観光客をバージンロード(というかどうか?)から全部どかして、花嫁さんの行列が進みます。(あ、もちろん花婿も付いていますが)

Rimg3031 Rimg3032
南側の門から入場 本殿との間にある社殿に入場です。
Img_6674 Rimg3033

「あたし八坂神社で結婚したの」って言えば、日本中どこでも知らない人はいないくらいメジャーな場所。まったくうらやましい限りです。増え始めた修学旅行生とデートの男女の群れに押されながら、オヤヂはひとり今日も行く。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

作法を守って入る高貴な風呂「宣明」~相国寺(しょうこくじ)/上京区

禅宗のお寺「相国寺」の浴室「宣明」です。宣明とは浴室の別名ですが、天皇家と将軍家しか使えない名前だそうです。 ※写真をクリックすると拡大表示します

R0012488
相国寺の創建当時に再現された浴室(公開中)

入浴は楽しみという方も多いでしょう。が、当時の禅寺の入浴は修行の一つでちゃんとした作法に則って行われたそうです。私なんか入浴して最初に洗う○ん○ん(当時の言葉で「僻処」)は、洗ってはいけない決まりになっていたよう。これは耐えられないです。

R0012497
R0012491
あのおばさんの足下のラインでお湯が床下に落ちる(床下には排水溝) この中に入ってお湯を使います。座るのが作法で立ってお湯をかけてはいけない。この大きさじゃ立てないが・・・
R0012495
宣明の図(相国寺:萬年山相國承天禅寺)
中央の四角い桶は中に入るものではなさそうです えらくたいそうな仕掛けです。(説明パネルより)

水戸黄門のお銀(かげろうお銀:由美かおる)は気持ちよさそうな入浴シーンですが、やっぱ入浴はアレでしょう。「脚巾にて足腰を包み浴裙(単浴衣)を着る(説明文より)」なんて全然リラックスできないですよね。良い時代になりました。

Photo:RICOH Caplio GX100 ※写真をクリックすると拡大表示します

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トーテムポールと丈比べ~ただのカラスノエンドウ

なにげに道ばたに咲いている花でもよく見るとなかなか可愛いものである。なにげに普段見ている女子社員も本当はよく見ると可愛いものなのだろうか。でも、無理にかわいさを探そうと注視すればセクハラ扱いだ、最近は(-_-;)・・・。そうそれに、こういう文章もセクハラだ。ところで、この雑草、食えるらしい。
Img_6632

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春!ソラマメも花盛り。来月あたり楽しみです(^o^)

カイドウ桜や菊桃、チューリップなどが花盛りですが、昨年秋に種を蒔いたソラマメもご覧のように花盛り。写真がいまいちなので葉っぱのしげり具合や花いっぱいの様子が分かりませんが、たぶん来月後半ぐらいには食べ頃に・・・・(豊作予想!)

Soramame
結果!こんなマメができればよかったのですが・・・・・・たくさん実がついたのに、じめじめした時期にみんな虫にやられてしまいました。
Dsc_7771

来年こそは!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中国の音色「揚琴」を聴く~深奥的中国/国立民族学博物館(吹田市)

「揚琴(ようきん)」はヤンチン(中国)、ヨーチン(モンゴル)と読むらしい。国立民族学博物館の、開館30周年記念特別展「深奥的中国ー少数民族の暮らしと工芸」に訪れて、たまたま揚琴と中国琵琶の演奏を聴くことができた。中国の古箏(日本の琴に似た形))や二胡(2弦の弓で弾く楽器)の演奏は結構好きで、古箏の伍芳(ウーファン)さんのCDを2枚持っている。ほとんどいったことがないくせに、そういう曲を聴くとなんだか絵が浮かんでくるようだから不思議だ。

Yokin1
揚琴と中国琵琶の演奏(国立民族学博物館)
Yokin2

上の写真が「揚琴」。150本を越える弦から成る。これを両手に持った「鍵子」「琴竹」などと呼ばれる竹の棒で叩いて音を出す。この竹30cmほどで非常に良くしなる。先端が2cmほど菜切り包丁(カミソリ)型になっていてココにゴムがかぶせてある。ちょうどピアノのしかけと同じで弦楽器のような打楽器のような楽器だ。

深奥的中国とは中国南西部。ここには漢民族と暮らす55の少数民族があるよう。チベットも含まれる。そういう辺境の人々はほしがらない埋蔵資源やその他の戦略的・経済的価値で様々な問題が起こるのは悲しいことだ。言葉は行き違うが、言葉のない音楽の方が通じ合えるかもしれない。平和な日本ではそんな平和なことしか考えが及ばない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「太陽の塔」EXPO70!38年前確かにココにいた~大阪府吹田市千里「万博記念公園」

「ばんぱく」って何なのか、何がここ吹田の千里丘陵であったのか40代半ばまくらいまでの人には記憶が無いでしょうね。そういう恐ろしく昔の出来事になったんですね。日本万国博覧会は1970年(昭和45年、終戦から25年)い開催された国際博覧会。前年にアポロ11号で人類が史上初めて月に降り立った。そのとき持ち帰って石が万博のアメリカ館で展示され連日長蛇の列でしたね。そのアメリカ館跡も今は遊歩道沿いの森の中で小さな碑があるのみです。万博記念公園 地図※写真をクリックすると拡大表示します

 
Img_6597
EXPO70日本万国博覧会のシンボル「太陽の塔」65m

当時、小六~中一だった自分にはEXPO70で出現した「未来都市」と「世界(外国)」は鮮烈な印象で記憶に焼き付けられています。地下鉄御堂筋線の銀色の車体も未来でした。

Img_6504
Img_6495
万博公園の春の数も種類も豊富。花がいっぱい
チューリップ・ポピー・菜の花などが見頃
Img_6601
Img_6602
「太陽の塔」正面 こんなに大きかったのか・・・
「太陽の塔」背面 お祭り広場側よりのぞむ

今はご覧のようにすっかり緑に包まれた公園。今ここを訪れる小さい子供を連れた人たちの「万博」って2005年の「愛地球博」?神戸のポートピア(1981)?沖縄海洋博(1975)?つくば科学博(1985)?花博(1990)? このブログを見て、三波春夫の「こんにちわぁ~こんにちわぁ~」が頭に響く人って少数派なんでしょうね。

Rimg2967
Img_6598
「お祭り広場」の大屋根の一部(幅薬7m)。当時は40mの高さに約100mx300mの大屋根があった。
「太陽の塔」の説明パネル。岡本太郎という芸術家の存在を痛烈に印象づけられた。

高速道路(中国道)を通過するときによく見かける「太陽の塔」も、改めて近くで見ると大きさもさることながら、ものすごくインパクトのある意匠だと感じます。小学六年生が初めてマスメディアで知った芸術家というお仕事のヒト「岡本太郎」氏。芸術家というのは皆、テレビから飛び出してかみついてきそうな人たちなんだと思ってしまいました。(笑)

Photo:CANON Powershot G9, RICOH Caplio GX100 ※写真をクリックすると拡大表示します

| | コメント (0) | トラックバック (0)

明治建築が残るJRレンガ橋脚の道~木津市鹿背山地区

「遺構の写真をブログに載せても華やかさが無いよなあ」と思いつつ、遺構好きの人間としては特に大好きな煉瓦造り遺構をできるだけアップしたと思います。今回は奈良市(奈良)、木津川市(京都)と京奈の接するこのあたり、意外に早く鉄道が引かれたけどその後そんなに発展しなかった(^_^;)関係で、明治時代の煉瓦造りの鉄道橋脚がわりと残っている木津川市 鹿背山地区(かせやま)に行ってきました。 ※写真をクリックすると拡大表示します。

Rimg2794
Rimg2817
学研都市線(旧片町線)木津小学校付近の跨道橋[かたまち002] 府道47号線-JR奈良線の跨道橋(木津駅のすぐ北側)[なら200] 実は下の道路の部分、かつて廃線化(明治40年)された木津駅-新木津(廃止)の線路が通っていた。

さて、上二つはJR片町線と奈良線、木津駅のすぐ北側~北西側にあるレンガ橋です。※跨道(こどう)橋の台部には「クルマをぶつけたら橋の番号とプレートの色を連絡しろ」って板が貼り付けてあります。(下の写真なら右台部にある) [カギカッコ]内はそのID番号です。

Rimg2826
鹿背山地区入って、関西線が北東から南東へその向きを変えるあたり[かんさい029]
Rimg2831
鹿背山地区青渕のあたり、角部は石が入っている[かんさい028]

これらのレンガはどこで焼かれたものですか?はい、地元鹿背山産です。この地域は平城京より北東の方角にあり、「土」が良かったらしく、昔からカワラの窯元が多く存在したらしい。また上薬も良く、銀色に輝くカワラが特徴だったとか。橋の写真を撮っていたら親切な地元の方が教えてくださいました。

Rimg2834
Rimg2839
その方の庭に置いてある、橋桁を乗せる台座。現在のコンクリート製に変わる前のもの。もう一対(反対側分)もある。(奥:表面、手前:裏面) 現在発掘中のカワラを製造する窯の遺跡(京都府埋蔵文化財調査研究センターとある)

その他にガラスの材料となる硝石なども豊富で一時はガラス工場もいくつかあったとか。鹿背山に誇りを持っておられる事がよく分かる80代の男性でした。その方の指さす場所に写真上のカワラ窯発掘現場がありました。

Rimg2845
カワラ遺跡発掘現場のすぐ上手の鉄道橋。跨道橋ではないので先の番号は無し

sun おまけsun
先の関西線をJR加茂駅へと進んでいけば、以前にも紹介した「大仏鉄道の遺構」群にぶつかります。こういうの絶対手で触ります。明治という時代に直接触れられた気がして(共感はなかなかしていただけないけど)結構幸せな気分です。

Rimg2893
Rimg2900
大仏鉄道遺構「ランプ小屋」(明治30年) 大仏鉄道遺構「鹿背山アバット」(橋桁を橋の両端で支える台のこと).大仏鉄道がこの上走っていた。

Photo:RICOH Caplio GX100 ※写真をクリックすると拡大表示します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

五芒星☆マーク陰陽道のトップスター安倍晴明が祀られる晴明神社(せいめいじんじゃ)~京都市上京区堀川通一条上ル

「ええっ!なんでアイツそんなことデキんのよぉっ!fuji」・・・ヒトのできないことをやってのけるヤツは驚きと羨望の的。「一般人にはできねぇ」という意味で言うことが多いフレーズですが、「これ人間にはとてもできねぇっしょ」というとコレはもう神懸かり級。そんなshadow超人(伝説)安倍晴明(あべのせいめい~1005年)をお祀りするのがココ晴明神社です。

Img_6140x
おなじみの五芒星☆の起源は古代crownバビロニア「木星・水星・火星・土星・金星の5つの神である惑星」だそうで、陰陽道では「基本概念となった陰陽五行説、木・火・土・金・水の五つの元素の働きの相克を表したものであり、五芒星はあらゆる魔よけのお札として重宝されたウィキペディア」だそうです。
Img_6141
五芒星★マークは、キキョウの花に似ていることから「晴明桔梗」とも呼ばれるそうです。本殿に近づき、グッと晴明annoyパワーが増してきました!(かも)
Img_6142x
1_1

五行相生・五行相克はこういう意味らしい。単純化していますが、おそらく出任せで多くのヒトにその能力を信じさせることはできないので、安倍晴明は、植物学、物理学、地学、化学、天文学、あるいは医学・薬学など総合的な科学知識を持ちそれを駆使したeyeglass科学者だったのかもしれませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

由良要塞軍事遺産(その7)~さよなら友が島 / 和歌山市友が島

「友が島」はそういう名前の島があるのではなく、地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の総称をいう。これまで要塞跡の撮影をしてきたのは沖ノ島だ。その沖の島と潮の状況によって一体化したり離れたりしているのが下↓の写真「虎島」である。 ※各写真は、クリックすると画像が拡大表示されます。

Img_6391x
虎島などこの周囲の島に見られる傾斜した堆積地層

四国吉野川から紀ノ川に伸びる中央構造線に程近いこの島も、太平洋から押しこまれるプレートの影響を受けてできた島だし、だいたい紀淡海峡もそうしてできている。ということは、太古の造山活動が由良要塞(由良-友が島-加太)を作った理由になるわけだ・・・と言えばこじつけだろうか。

Rimg2761
Rimg2762
奥に桟橋が見えている。 ここが友が島の玄関口、友が島港の桟橋。

海水浴やキャンプで訪れたことがある友が島だが、今回初めて要塞見学だけで渡ってきた。第一、第二、第三砲台と海軍聴音所のコースはゆっくり歩くにはちょうど良いコースだ。もっとも船の便数が限られているので時間配分には注意したい。

Img_6436x
桟橋のすぐ近くは公園に。夏は結構暑かったのを覚えている。その公園の奥にある煉瓦の建物。前に座る山羊が・・・っぽい

■おまけ 「第三砲台の左翼観測所

Rimg2744
Rimg2751
左翼(海に向かって最左翼)の観測所。8基の砲と同じライン上にある。 左翼い観測所内部から左右にのびるトンネル。

これ以外に、第四、第五砲台や虎島(潮に注意)堡塁・・・など他の遺構もまだまだあるよう。改めて1年後この島を訪れたい(草木の生い茂らない時期がお薦め)    [要塞砲]   ※各写真は、クリックすると画像が拡大表示されます。PHOTO : RICOH Caplio GX100
 

由良要塞軍事遺産関連記事: その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

| | コメント (0) | トラックバック (1)

由良要塞軍事遺産(その6)~監守衛舎・発電所跡 / 和歌山市友が島

「その5」で紹介した「棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)」から土手をくぐる短いトンネルを抜ければ、「監守衛舎・発電所跡」だ。ここは人の匂いがする。 ※各写真は、クリックすると画像が拡大表示されます。

Rimg2719x
棲息掩蔽部のトンネルをくぐると土手に囲まれた広場が見える(正面は発電所跡)

ここにある案内板には[将校宿舎跡/本島要塞の駐屯兵が生活した宿舎が今も島内各所に一部残っていますが、この建物も将校宿舎でした。建物内部は順日本色間取りとなっており当時の将校たちの憩いの場でありました]とある。

Rimg2720x
Rimg2721
左が監守衛舎、右が発電所。キャッチボールなんかちょうどいいのでは 荒れるにまかせているという感じ。網でふさがれているが、中に入るのはチョット危険だろう。
Rimg2723x
Rimg2732
外の煉瓦建築と中の純和風構造とちょっと違和感があるが、ちゃんとしていればくつろげそうな雰囲気は十分ある。 発電所跡。屋根は崩落しており、側だけが残る。

土塁で囲まれた日当たりの良い平地。下↓の写真は友が島港へ下りる方向にある切通しの門あとだ。ここには、ツバキや桜の木が生えているが、恐らく当時植樹されたものではないだろうか。実戦の無い平和な島生活・・・と呼べたかどうかわからないが、弾薬と背中合わせ、自分たちの戦場との距離ゼロメートルの隔絶生活は何かとストレスもあっただろう。

Rimg2735
棲息掩蔽部(弾薬庫)と反対側の切通し。門があったのだろう。ここを下れば友が島の港は近い。

当時の人の活動や思いを少し感じられる気がするので遺跡巡りは止められないヽ(´▽`)/。    [要塞砲]   ※各写真は、クリックすると画像が拡大表示されます。PHOTO : RICOH Caplio GX100
 

由良要塞軍事遺産関連記事: その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

| | コメント (0) | トラックバック (3)

由良要塞軍事遺産(その5)~友が島第3砲台棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)  / 和歌山市友が島

その4」で紹介した第3砲台の関連施設「棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)」。平たい話、弾薬や発射薬を貯蔵しておく場所で、同島の案内板には「弾薬支所(Ammunitions Bunker)」とある。 ※各写真は、クリックすると画像が拡大表示されます。

Rimg2716
向こう側から交通路を下ってくると、ここが突当り「棲息掩蔽部(弾薬支所)」

上↑の写真の位置で振り返ると下↓の写真。左は監守衛舎・発電所跡へのトンネル、正面の倉庫と、右手(砲台側)に4連の弾薬庫が並ぶ。正面の倉庫と右の4連の倉庫は構造が違うので、さらに下の写真で確認してほしい。

Rimg2717_1
左は監守衛舎・発電所跡へのトンネル、正面の倉庫と、右手(砲台側)に4連の弾薬庫
Rimg2715
Rimg2710x
上の写真の正面倉庫。半円筒形のシンプルなもの 4連倉庫の最も奥に位置する倉庫の入口部、これはどの倉庫も同じ

4連倉庫には、さらにその倉庫周囲に人一人が通れるぐらいの幅をもった回廊状のトンネルが存在する。上から二枚目の写真の右角部にその出口があるのが見えるだろうか。単なる通路ではなく保管状態や防御のための構造らしい。

Rimg2702
倉庫の一番奥の部分。右側がさらにその後ろにある通路。倉庫をぐるっと取り巻いて(左)倉庫内への通用口、そしてそのまま進むと倉庫正横通用トンネル口に出る。狭いトンネルだ。
Rimg2699
Rimg2718
これが4連倉庫の裏側を行く回廊状のトンネル。漆喰の白色が残る。 トンネルを隔て向こうが監守衛舎、発電所。写真はその土手に登るRのついた階段。丸みが優しい。

明治25年頃の重要施設だから当時の最高技術で作られているはず。100年の間にその分野の技術進歩は超速く、あっというまに明治25年の最先端は後ろの方に追いやられてしまった・・・活躍しなかったがゆえにこうして美しい形を後世にとどめているというのは何か皮肉な話だ。[要塞砲
※各写真は、クリックすると画像が拡大表示されます。PHOTO : RICOH Caplio GX100 (CANON G9も持参しましたが、ここの写真は全てGX100で撮影しました)
 

由良要塞軍事遺産関連記事: その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

| | コメント (0) | トラックバック (1)

由良要塞軍事遺産(その4)~友が島第3砲台 / 和歌山市友が島

「友が島第3砲台」明治25年竣工の友が島要塞主力となる砲台で、4砲座に8門の28cm榴弾砲が据えられていた。標高110m現在はでっかい航空用のビーコンアンテナがすぐそばに立っている。 ※各写真は、クリックすると画像が拡大表示されます。

Dai3hodai_map
[クリック=拡大表示](1)~(5)の位置で以下の写真を撮影した。(2)(3)は地下

上の案内板[現在位置]とあるところから交通路は左側に伸び奥突当り「棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ:案内板には弾薬支所とある)」へと傾斜を下っていく。「棲息掩蔽部」は次回紹介するが砲弾や発射薬の貯蔵所らしい。さて↓その交通路の3か所にこうして地下道へ進む下り階段(1)がある。

Rimg2659
(1)4砲座の中間三か所から砲座に向けて上がっていく地下道入り口
Rimg2665x
Rimg2668x
(2)正面階段は砲座への上り階段で、2砲座の中間部へ延びる。右手は弾薬庫のようだ。 (3)右手の口から上がってきた階段は突当りこうして左右に。向こう側は第一砲座、背中側が第二砲座になる

白い壁はレンガに漆喰を塗った跡だ。もちろん電灯はないので壁は白いが真っ暗、懐中電灯を忘れちょっとあわてたが意外なものが役立った。目を慣らしてデジカメのシャッターを半押し。AF(オートフォーカス)用の補助光がカメラから発し、これで意外に先の様子がわかるのだ。

Rimg2678
(4)第一砲座の2基の砲床跡、まるで池。向こう側にはビーコンアンテナ(コウノ巣山展望台)が見える
Rimg2681
Rimg2686
(4)第一砲座を土塁の上から見る。各砲座とも楕円の穴に2基の砲床を持つ (5)砲座によっては落ち葉や朽木で埋まっているものもある。見学は秋から春が良いだろう

由良要塞は終戦時、米軍によって武装解除爆破されたようだが、空襲を含め実戦で発砲したことはないようだ。せっかくこうして残っているのだからなんとか後世にきちんと残したいものだ。[要塞砲
※各写真は、クリックすると画像が拡大表示されます。PHOTO : RICOH Caplio GX100 (CANON G9も持参しましたが、ここの写真は全てGX100で撮影しました)
 

由良要塞軍事遺産関連記事: その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

| | コメント (0) | トラックバック (4)

由良要塞軍事遺産(その3)~海軍聴音所 / 和歌山市友が島

由良要塞群、友が島の他の砲台施設は陸軍さんのものですが、この調音所は海軍、約50名の海兵さんが紀淡海峡を渡る船や潜水艦のスクリュー音に耳を傾け位置を測量していたようです。南側にひらけた高い断崖の上で太平洋がよく見えます。 ※各写真は、クリックすると画像が拡大表示されます。

Rimg2638
半地下の構造、岩や樹木でカムフラージュされている
Rimg2621
聴音所内部から。バカな落書きがき、荒れるがまま・・・悲しい
Rimg2642
先ほどの半地下部から突出した観測台のようなもの
この聴音所の裏側(海と反対側)の少し低い場所には生活区域でしょうか、建物の基礎だけが残されています。[要塞砲]。  PHOTO :  RICOH Caplio GX100
由良要塞軍事遺産関連記事: その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

| | コメント (0) | トラックバック (3)

由良要塞軍事遺産(その2)~友が島第1砲台 / 和歌山市

第一砲台は明治期の灯台がある山頂付近にあります。砲台は、砲座、壕底、会談、トンネル、弾薬庫などの構成要素から成り煉瓦と白い漆喰(一部コンクリート)で作られています。 ※各写真は、クリックすると画像が拡大表示されます。

Img_6407
第1,2砲座と第3,4砲を結ぶ壕底のトンネル
Rimg2576
壕そこへの階段。トンネルの向こうとこちら側左手上部にそれぞれ2門のりゅう弾砲。
Rimg2588
この砲台にはトーチカのような観測所跡がある。鉄の小窓からは紀淡海峡が
上の写真は右翼観測所と呼ばれる一対の観測所の一方。ここで放たれた砲弾の着弾点を観測し方位や仰角の修正情報を砲手に送っていたものと思われます[要塞砲]。PHOTO : Canon PowerShot G9 / RICOH Caplio GX100
由良要塞軍事遺産関連記事: その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

| | コメント (0) | トラックバック (1)

由良要塞軍事遺産(その1)~友が島第2砲台 / 和歌山市

忘れ去られた・・・という言い回しがぴったりの軍事遺構「由良(ゆら)要塞 友が島砲台」。今回は「その1」として第二砲台を紹介する。日露戦争前にロシア艦艇の湾内への侵入と砲撃を真剣に恐れ水道や湾の入口に要塞が数多く建設されたようだ。由良要塞は、淡路島、友が島、和歌山市加太のラインで紀伊水道を防衛するために作られた。 ※各写真は、クリックすると画像が拡大表示されます。

Yura_tomo_dai2
奥の第1,2番砲座は崩壊が激しい。手前の3,4番は原形をとどめる
Img_6402_1
3,4番砲座側(島側)の背面、地下部の構造物が見える
Tomogashima_dai1_1
砲座下の構造物(地下) 手前は海側だが風波による浸食が深刻だ。
がしかし、第二次世界大戦では水道は潜水艦に侵入され、主力の攻撃は空の上を通過され、こういった要塞は用をなさなかったようだ。また友が島は離島のため、戦後も積極的な開発にさらされず現在のように「放置?」されたうように無残な姿をさらしている。貴重な軍事遺産としてぜひ保護保存してほしいものだ。[要塞砲]。PHOTO : Canon PowerShot G9
 
由良要塞軍事遺産関連記事: その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

| | コメント (0) | トラックバック (3)

京都の着物美人を捜して~京都西陣織会館

美しい着物を美しく着こなせる女性はすばらしいlovely存在だと思います。女性のために着物はあるのですねぇ。「装う」という美しさに改めて感動する日でした。(京都西陣「西陣織会館」にて)

Img_6116
姿がなんと美しいこと!さすがモデルさんはからだ全身に神経が行っているって感じがする

音楽が流れ、スポットが振られ、美しい女性が美しい着物姿で現れたら・・・・こりゃあcameraカメラを向けて撮りまくる!これが絶対普通ですよね。そんな普通の光景に自分も埋まってheart02魅せられたようにシャッタを切りまくりました。

Img_6134
Img_6109x
ショウが始まるとこんな雰囲気。釘付け!
着物も美しいが、それを装う女性もまたすばらしい存在だ

う~ん、しかしこんなに女性は美しくすばらしいと感動したのに・・・・なぜこの感動、house自宅やbuilding会社では起こらないのだろう。出勤してみてこの謎ゆっくり考えよう。でも、そんなに時間はいらないいかなbleah

| | コメント (0) | トラックバック (0)

元・西陣小学校/昭和初期の校舎~京都西陣・上立売通り

近くにあった地図には「元西陣小学校」とあります。ひっそりと静かです・・・・てゆうか、春休みでしかも休日でしょ。ヒトいなくてあたりまえだしbleah。  ※写真をクリックすると拡大表示します。

Nishijinsho1
元・西陣小学校正門(現西陣中央小学校第二教育施設)

相国寺(しょうこくじ)から西陣織会館(着物美女捜し)、晴明神社安倍晴明の霊力授かり)を目指して歩いていて、偶然発見しました。上京区役所のホームページによれば、昭和9年室戸台風でそれまでの校舎が倒壊し、昭和11年今のこの校舎が建て直されたようです。

Nishijinsho2
Nishijinsho5
閉ざされた校門から中を覗く
今風のクルマと対照的な事務棟

すでに平成9年、本校の南にある西陣中央小学校に併合され築後70年を経たこの建物は取り壊しを待つのみという状況なのでしょう。自分の母校(小学校・中学校)がすでに自分が在校した頃の敷地に存在しない(倉庫と工場になった)ものとしては、関係者じゃないけど寂しさを感じますねぇ。Photo:CANON Powershot G9 ※写真をクリックすると拡大表示します

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

寺田屋事件って?近江屋事件や池田屋事件がごっちゃになっている私~京都伏見寺田屋にて

新撰組がその名を一躍高めた「池田屋事件」(1864年:新撰組が長州藩の尊皇攘夷派を襲撃した)、坂本龍馬が中岡慎太郎とともに襲われ命を落とした「近江屋事件(1867年)」、で寺田屋事件はというと、「薩摩藩尊皇派が薩摩藩藩主の父で事実上の指導者・島津久光によって粛清された事件=寺田屋騒動」、それに前述の坂本龍馬を「伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした(wiki)」事件があります。

Img_5994_2
↑これが分かれば相当な寺田屋通!と言える?
Img_5998
↑寺田屋の正面。こちら側が堀に面している。

寺田屋の坂本龍馬は西郷の所へ逃げ延びたが、このとき入浴中のお龍さんが素っ裸で二階の龍馬に旧を知らせたlovely有名なエピソードがあります。薩摩藩の寺田や事 件も、このとき藩から追っ手を受けた尊王派6名が殺されましたが、投降した大山巌、西郷従道、三島通庸、篠原国幹、永山弥一郎などの顔ぶれを見ると明治新 政府の重鎮や西南戦争の指導者がズラリと並んでいますね。

Rimg2119_2 Rimg2127
少し表側へ傾斜している。元からそう作られている
お龍さんが入浴していたといわれるお風呂

下は「坂本龍馬の部屋」といいわれている部屋で、向こう側が寺田屋の庭(正面右手)になります。「おお、こっから庭に逃げたのか、屋根を伝ってどこかへ逃げたのか・・・」などと勝手に想像がふくらみます。柱には刀傷、ああ・・・・リアル。

Rimg2116
坂本龍馬の部屋と言われているところ。開口部は寺田屋正面右手の庭面に

がしかし・・・・・・・Wikiペディアを読み進めると・・・・・・・事件のあったcoldsweats02寺田屋は「鳥羽・伏見の戦い(1868年)」で焼失しているbombと・・・・・しかも、それはこの現寺田屋の庭の位置にあったと・・・・・・なんだかシケるなぁshock。「当時そのままなんだぁ」と信じて志士の気分で畳に座ってみたのに。まあ、龍馬と時代を超えて数メートルの距離までは接近できたぐらいで良しとしようgood

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春の淡路島で13年前の震災を改めて知る~兵庫県淡路島北淡震災記念公園

1998年(平成10年)4月5日に開通した明石海峡大橋、おカネのことはいろいろいわれましたが、京阪神から気軽に淡路島や四国に渡れるようになって、それらがずいぶん近くなった気がします。 ※写真をクリックすると拡大表示します。

Rimg2322
あわじ花さじき淡路市

んな訳で、あちこちに花いっぱい、お花畑もいっぱいで幸せな春の休日・・・と思っていたら翌日の日曜日は終日冷たい雨。

Rimg2345
Img_6344
大鳴門橋(おおなるときょう)橋長1,629m
明石海峡大橋(あかしかいきょうおおはし)橋長3,911m

土曜日、暖かい夕日の鳴門大橋(上左の写真)、日曜日、雨に煙る明石海峡大橋(上右の写真)です。雨の中、「北淡震災記念公園(ほくだん)」へ行きました。「平成7年1月17日5:46AM明石海峡を震源とする大地震が起きました。地震は「兵庫県南部地震」と名づけられ、阪神・淡路地域に死者6434名にものぼる大災害をもたらしたために「阪神・淡路大震災」と呼ばれました(AWAJI-NAVI)」 この大震災の教訓を末永く残こし防災意識を高揚させるために、当時地表に現れた断層を屋根で覆い、当時そのままに保存してあるのです。

Img_6316
Img_6320
本物の舗装道路。段差(2段)が見えるが、震災時画面左側が数十センチ隆起してこのようになった。 あぜ道の奥側が上に数十センチ、右手に120センチほど隆起してずれている。

「野島断層」 そう呼ばれる断層は2000年周期で暴れているようです。13年前の地震で、数十cm隆起し、しかも120-130cmほど横ずれをしています。それがどれほどのものかは、ちょうど断層上にあった家屋を保管した「メモリアルハウス」の様子を見ればより強く実感できます。

Img_6333

Img_6338

メモリアルハウスの上下方向・水平方向にずれた塀。ここも120cm以上横ずれしている。 上空からの写真を見ると地面がスバッと一刀両断。こんな恐ろしいパワーを動かない(と思っている)地面は蓄えているのです。

我が家の庭でこんな事が起これば、隣家のイナバモノオキが地面ごと我が家に飛び込み、ウチのウルマが横スライドしてお隣の玄関をふさぐごらいの移動距離(といってもわかんないと思いますが)。スライドだけでなく、数十cmの隆起も起こり、家は倒壊を免れても激しく傾斜することになります。

Img_6204

おだやかな日々に感謝しながら、大震災の教訓を時々思い起こしそういう事態に備える。難しいことですが、長い時間の間に起こることなので、世代を越えて経験や知識を継承していきたいものです。

Photo:CANON Powershot G9, RICOH Caplio GX100 ※写真をクリックすると拡大表示します

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »