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2008年6月

古代豪族葛城氏の墓か?馬見古墳群(うまみこふんぐん、4~6世紀)~馬見丘陵/奈良県北葛城郡

4世紀末から6世紀頃、この地域を支配していた葛城氏の墓域という説(ウィキペディア)もあるという馬見古墳群。馬見丘陵公園はその墳墓を含むようなカタチで広がっている公園です。  ※写真をクリックすると拡大表示します

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「ナガレ山古墳」 長さ105m。大型の埴輪で囲まれた葺石の前方後円墳

ナガレ山古墳はそのシンボル的存在。当時の姿が復元されています。。

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ナガレ山古墳の脇にあるジオラマ。手前が巣山古墳、一番奥にある葺石古墳がナガレ山古墳 円墳部の上から方部を眺める。右手奥には二上山から葛城の山々が
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余談ですが、地図中央部の「竹取公園」と「讃岐神社」は、かぐや姫伝説と歴史の交差点。お時間のある方は調べてみては?

上のグーグルマップで、左下に「三吉石塚古墳」があるが、これはホタテ貝のカタチをした葺石の古墳です。(↓下の写真)

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三吉石塚古墳 ちょうどホタテの四角い部分で儀式のようなことをやったらしい。
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三吉石塚古墳の頂上部から隣接する新木山古墳をのぞむ 三吉石塚古墳の説明パネル

巨大墳墓と高価な埋葬品は時の権力者の象徴です。「所有」「地位」「領土」は死後の世界にもある(はず)と信じたのでしょう。そこらでのたれ死ぬ人も多い時代、死後、それらの魂が等しくあってほしくはない・・・権力者であればそう願い、そう信じたいでしょうね。

Photo:CANON Powershot G9, RICOH Caplio GX100※写真をクリックすると拡大表示します

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女帝持統天皇の愛した吉野の地~吉野宮瀧遺跡/ 奈良県吉野郡吉野町上市

女帝持統天皇(645-703)が在位中31回もその地を訪れたという吉野。以前、多武峰談山神社(とうのみねたんざん)のブログを書くときに知った里中満智子先生の「天上の虹~持統天皇物語」を読んで「そうだ、吉野へ行こう」と思った。  ※写真をクリックすると拡大表示します

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里中真智子先生の「天上の虹~持統天皇物語」

文字ばかりの歴史書でも良いが、里中先生がシッカリ調べ上げて書かれた同書、人物が活き活きしていて、頭の中に自然と流れ込んでくる。脚色はあるにせよ絵の威力は大きいと感じる。

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万葉集にうたわれる象山(きさやま)。万葉集は知らないが持統さんと同じ山を観ている幸福 吉野川の急流、宮瀧(みやのたき)。紀ノ川となり海へ
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宮瀧あたりの地図(吉野歴史資料館 歴代天皇と吉野離宮の変遷(吉野歴史資料館)
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上の地図で「バス停」付近に建つ碑。手前側が吉野川。何も・・・残っていない。 吉野宮の絵図(吉野歴史資料館)

クルマで来ればたぶん通り過ぎてしまう、そんな遺跡(跡と書きながら跡も分からず)。しかし、大海皇子(後の天武天皇、持統天皇の夫)が、壬申の乱前に大友皇子との決着の時を待った吉野、妻持統天皇が夫亡き後31回も訪れた吉野。彼らと同じ山を見て同じ川を見ているだけで十分だ。想像力をかき立てる自然は十分に残っている。

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象の小川(きさのおがわ)。その水が吉野川に注ぐ場所を「夢のわだ」と言うそうだ。万葉人の夢という文字にはどんな意味があったか知らないが、とても美しい場所として詠まれているようだ。
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象の小川沿いにある「桜木神社」。大海皇子が大友勢に追われたとき桜木に隠れ難を逃れたと伝わる

万葉集を読みとくほど古典好きでもなし、歴史マニアっていうわけでもない。でも、こうやって何かのきっかけをたどりながら「ああそうだったのかぁ」と知らなかったことに触れると、何も感じなかった山や川に様々な楽しい想像が沸いてくる。ハッキリとしたデジタル情報じゃなく、虫食いや滲んだ情報の方が知性に楽しいものである。

CANON Powershot G9   ※写真をクリックすると拡大表示します

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5体の猿石、いったい何者?/奈良県高取町&明日香村

明日香村の吉備姫王墓(きびつひめおおきみはか)には4体の猿石が置かれています。元は吉備姫王のお爺さま欽明天皇のお墓近くの水田で見つかったもののようです。これとは別にもう1体が大和高取城二の門近くに置かれています(写真camera下↓) う~ん、コレが一番サルに見える。※写真をクリックすると拡大表示します

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巨大な山城「大和高取城」のサル石。高取城の大量の石垣の中には、近隣の明日香村などから運ばれた古墳などの石材がかなりあるようです。ところで・・・コレ、両手の間にポッコリしたものが・・・
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「女」と呼ばれるサル石。垂れパイっぽく見えるかららしいが・・・アレが付いているという説も 左「僧」、右「男」と呼ばれている猿石。

通称「女」「僧」「男」と呼ばれる吉備姫王墓(明日香村)に置いてある猿石。これ、どれも股間が怪しいのです。 

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この「僧」を別確度から撮影。股間の立ってるモノを押さえている(または持って立たせている)?

極めつけは通称「山王権現」と呼ばれる下↓のcamera写真。まさにそのモノをどうにかしているようなそのお姿です。悲しいかな、子供の生存率も低かった時代には多くを生むことも大事で、チ○○は多産の祈りを込めた象徴だったかもしれません。

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通称「山王権現」と呼ばれる猿石。なんとも言えないポーズだ。

日本のあっちこっちに男根をかたどった(またはそれに似た)巨石・巨木が神社などに据えてあって、それをpaper撫でて子宝を祈るという場所があります。なでられまくってテカテカになっていたりしますね。

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アップするまでもない。さすられてテカテカにはなっていない。

やはり多産祈願の象徴はオトコのsecretモノですよね。女性のだと・・・すこしhappy02恥ずかしいしなんか撫でてるのcatfaceイヤらしくない?テカテカになってもイヤだし・・・。って、女性はどう思うのでしょうね。まじめな信仰を少しちゃかしすぎましたかm(_ _)m

Photo:CANON Powershot G9, RICOH Caplio GX100※写真をクリックすると拡大表示します

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JR関西線木津川橋梁(明治30年)/京都府笠置町

ホームページを検索して調べてみると明治30年の竣工のようです。クルマで163号線を走るときいつも気になっていた古い橋です。もっとも気になっていたのは家族で自分一人だけなのですが。(場所) ※写真をクリックすると拡大表示します

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JR木津川橋梁(明治30年) 中央部だけレンガ造り
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木津川橋梁を163号線側から見る。渡ってみたくなる衝動と戦う。

110年間も木津川の激流に耐えて列車を乗っけてきたのかと思うと、なんだかなでてやりたくなりませんか?

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盛り土を剥がされた蘇我氏の古墳=石舞台古墳/明日香村

多武峰の談山神社からハイキングコースを下ること約1時間、有名な石舞台古墳明日香村)にたどり着きます。盛り土(封土)は剥がされて玄室が露出してますが、基台の1片が51m、玄室の石の総重量は2,300トンと言われて天皇家に匹敵する「すごい」古墳だったようですね。※写真をクリックすると拡大表示します

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中臣鎌足などのクーデターで蘇我氏滅ぼされた後、罰として封土が剥がされたと言われている

蘇我氏は「天皇に並び天皇になろうとした極悪人」のイメージがりますが、これもその後の為政者の思惑と宣伝によるところが大きいようです。もし、この古墳の封土が残れたなら、今は蘇我氏の子孫が天皇で、聖徳太子などは極悪人扱いだったのかもしれませんね。

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ハイキング道の途中にある古いお墓。天文(てんぶん)、永禄、天正など16世紀の年号だ。 「もうこの森」の気都和既神社。中臣鎌足が「もう来ぬだろう」と言ったことに由来。さて何がでしょう?

それにしてもこの石舞台、来るたびに周囲の樹木が育ち「ちょっと道から覗いて・・・」ということができにくくなってきています。上の写真の向こう側から排水溝付の羨道(せんどう=玄室への通路)や玄室などが見学できるので一度はお金払って入った良いかな。

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